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ロジカルに考え、リリカルに語れ。

空白の場所

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 仕事柄、よく展示会やシンポジウムなどに足を運ぶ。国際展示場こと東京ビッグサイトや幕張メッセなどだ。またどちらもその用途はビジネスに限らず、コンサートや即売会など文化的なイベントにも活用されている。
 何のイベントも行われていない幕張メッセを見に行ったこともある。空白の場所と呼ぶに相応しい虚無が広がっていた。建築において、内包される空間は建築からは独立して存在し得ない。空間は何らかの目的を持ち、意味を生じさせ、建築を形作る。幕張メッセ、ビックサイトのような大ホールの空間に求められるのは空白という目的、器としての意味である。

 リンク先ではそういった大きな空間について語られている。
なぜコミケはビッグサイトで行われるのか? ネットが変えた”場所”と”コミュニティ”の関係性 | ログミー[o_O]
 ここで宇野氏はハレとケの対応としてリアルとウェブを挙げ、ウェブの繋がりと情報量の受け皿としてビッグサイト等の巨大なイベントスペースが必要と述べている。
 同様の内容を、PLANETS vol.8に収録の
いま東京と東京論を問い直す ―首都機能から考える21世紀日本― (PLANETS SELECTION for Kindle)(門脇耕三, 中川大地, 速水健朗, 藤村龍至, 宇野常寛)内で宇野氏は述べている。サブカルチャーを夜の世界のコンテンツとみなし、文化を生む場所としての大空間、大バコの重要性が説かれている。

 しかし、人口減少の時代に入り込んだ今、空白の場所は自動的に生まれていく*1。空白を求められた場所ではないのに、空っぽな景色が見えるようになる。人が少なくなった後、文化だって持続できるかはわからない。
 もちろん施設として作られた空白と、打ち捨てられて生まれた空白は違う。ただ人がいないという空白の感覚は同じだろうと思う。

 
n次創作観光 アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性はアニメにおける聖地巡礼についての本だが、場所に赴き交流することで、アニメやweb発のコンテンツとその場所にあるコンテンツの繋がりが創出できると書かれている。
 そういった幸福な例は稀有であるとは思うし、多数の原理に押し潰されない場所性を持った場所も多くはないと思う。これから人が消えていくなら尚更だ。
 
 人も文化も居なくなった後でも、何かが残り経験できる場所を作る。都市や建築が貢献できるのはそういうところだろうと思う。

PLANETS vol.8

PLANETS vol.8

n次創作観光 アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性

n次創作観光 アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性

*1:国土交通省は28日、少子化の影響で、全国で人が住んでいる地域のうち6割以上で、2050年には人口が半分以下に減るとの推計を発表した。2割の地域は住民がゼロになるとしている。(抜粋)(2014年3月29日08時36分 読売新聞)国交省資料(pdf) https://www.mlit.go.jp/common/001033672.pdf